小学校二年生の時に、私は学校の課題でこんな作文を書いたそうです
家族で餃子を作って食べました。
少し焦げてしまったものがあったのですが、母は私と妹に焦げていないものをくれ、自分は焦げてしまってたのを食べていました。いつもおいしい料理を作ってくれているのに、失敗してしまったものは自分で食べています。次は私が焦げてしまったものを食べたいです。
と。もちろん一字一句当時書いたものではなく、あくまでもニュアンスです
何ならこの作文を書いた本人は、全く記憶にございません(笑)
大きくなった時、あの時のりおの作文、感動したなあーと内容を伝えられたことで初めて昔そんな作文を書いていたことを知りました
感動した
そういわれて、最初はぱっとしませんでした
ふーん、感動したんや
くらいにしか思ってなかったのさ(笑)
でも、”誰か好きな人のため”に料理をするようになった今、やっとその意味が解ってきました
大好きな人が喜んでおいしく食べてくれることが料理をすることに意味をもたらすんだよね
だから仕事で忙しくて疲れてたとしても家族のために料理をし
大好きな人へふるまう一品を最高の状態で与えることを最優先とするから
自分はちょっと焦げたものや、ぐちゃっとなっちゃったものを食べる
けど、一方で料理をふるまってもらってる人たちというのはそれに気づかない傾向にある
お母さんのだけ量が少なかったり、少し焦げてたり、トッピングの卵が割れちゃってたりしていることに。
当時の私は目ざとかったんでしょうね、黙って焦げちゃった餃子ばかり食べてる母に気づいて作文に書きました
そして、そのあまり評価されない、愛情ゆえの犠牲に焦点を当てたことに母は感動したのではないでしょうか。
大人になればなるほど、母の偉大さや愛情に気づかされます
私自身にもいつか大事な家族が出来たら見返りのない愛情をたくさん注ぎたいです
焦げてしまった餃子を自分でたべるようなお母さん、奥さんになりたいです
その前に焦がさないように火加減に気を付けたいと思います
さいごに
単純作業のバイト中、私は常に考え事しながら仕事しているわけですが、そのときにふとこのストーリーを思い出したので書くに至りました
母というのはみんなマザーテレサのようなものですね
見返りなんて一切求めず、家族のためにたくさんたくさん時間と愛情を費やします
ちいさな幸せは家の中にたくさんあふれてますね
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最後まで読んでくれてありがとうございます、今日の執筆者はりおなでしたー
そうたからのコメント
短い内容なのに深い、、、自分の今の目標でもある、小さな幸せに気づける人でありたいと思ったのも、りおなはそれを当たり前のように大事にしているから。
素敵な人だなと改めて思ったし、いつもありがとう!!!