こんにちは、りおな(@sotariolife)です
今回は、初めて物語形式のブログを書きます
この話は実話に基づきます。主人公は私です
身内で一番人気の記事になると思います(予言)
勉強やお仕事の気休めに読んでくださいね
それでは、はじまりはじまり~
3月某日。地獄のはじまり。
人生は、突然一変する。
とんでもない朗報が訪れることもあれば、
絶望的な悲報に苛まれることもある。
ーーーこの日の私は、後者だった
”地獄”を見るとは思いもしなかった3月某日の朝。
私は、この日に実家を離れる予定であった。
前日に用意しておいたスーツケースとリュックの中身はパンパンだ。
しばらく実家を離れることに寂しさを感じながらも、いつもの如く朝ごはんのオートミールヨーグルトを食べていた。
「また帰ってきたとき、会おうね」と、愛犬にもサヨナラの言葉を告げ、出発の時間まで部屋で携帯を触っていた。
すると、一件の電話がかかってきた。
彼からだ。
彼は大学5年生なのだ。
まるまる一年、留年していた。
そして今日、卒業可否が発表された日だったのだ。
そう言い、電話を繋いだまま大学のサイトにログインした。
彼にあれこれ教えてもらいながら、卒業可否のページまでたどり着いた。
画面を見た瞬間、凍りついた。
自分の目がおかしくなったのかと思った。
ひとつ。。。。。
最後の学期に取った、たった一つの単位が落とされていたのだ。。。。
私の中の時間は完全に止まった
しかし、世間の時間は何食わぬ顔をして過ぎていく。
刻一刻と、家をでなければならない時間に近づいてきた。
そう言って、ぷつりと彼の電話を切った。
電話を切った私は、やけに冷静だった
涙の一つも出てこない
「Aに電話するか。。。」
Aとは、高校のころから仲の良い親友で、大学の学部も同じだ。
プルルルルrrrr…
「でるかな。。。」
つながった!!
彼女に早速、大学を卒業できなかった話をした
話すことで問題解決するわけではないが、何もしていないと頭がおかしくなりそうだった
20分ほど話したが、もう家を出なければいけない時間になったので電話を切った
最寄り駅までは、母が車で送ってくれた。
道中、大学のことを母に話さなかった
自分が本当に留年したのかすら半信半疑だったからだ
娘が留年の危機にあるのを知らない母は、しばらく離れ離れになる私にお小遣いをくれた
嬉しかったが、心が痛んだ
まるで何事もなかったかのように、母と別れ、駅に向かった
駅のホームで電車を待とうと一息ついた
同時に大粒の涙がこぼれ落ちた。
最寄駅から、名古屋に着くまでの一時間弱は最悪だった。
人目を気にして、こぼれる涙を抑えようと必死だった。
うわの空で駅のホームを歩いてたら、ICOCA(ICカード)を線路に落とした。
気分が落ちている時に、いいことなんて一つもない
駅員さんに頼み、ICOCAは無事私のもとに帰還したが、私の笑顔は戻ってこない。
自分がどこで何をし、どういう状況なのかわからないまま、電車に揺られていると、いつのまにか名古屋駅に到着していた。
改札を出ると、彼が待ってくれていた
大きく手を広げて、抱きしめてくれた
私は泣いた。しかし、控えめに泣いた。
人がたくさんいるから。
とりあえず、一人じゃないことに安心した
彼は、私を慰めるために抹茶のおいしいパフェをネットで調べ、おごってくれた。(※りおは、大の抹茶好きです)
抹茶は、やはりおいしい。
しかし、ここからが本当の地獄だったのだ。。。。
つづき↓