ヒッチハイク西日本横断~鹿児島から名古屋までヒッチハイクしてみた~(6日目)

こんにちは、そうたです!今日は1番過酷だった日である6日目について書いていきます!

 

4日目と5日目はこちらから!

ヒッチハイク西日本横断~鹿児島から名古屋までヒッチハイクしてみた~(5日目)

2020.04.07

ヒッチハイク西日本横断~鹿児島から名古屋までヒッチハイクしてみた~(4日目)

2020.04.06

朝7時くらいに起床…? in広島のジョイフル

疲れも溜まってきており、目覚めが悪かったです、、

 

昨日の振り返りが惰性になっていたので、昨日立てた今日の目標を見返しました。

 

【1つ1つにアンテナを張る】

 

起こったことをすぐにメモしようと思いました。

 

歩いて、平和公園・原爆ドームへ

歩いている道で、すごくアメリカ横断をしていた時にワシントンに行った時のことを思い出していました。

当時の写真です。

思い出した理由が似ていたってこともあるのですが、誰かの想いが強く感じられたから思い出されたんだなって思いました。

 

僕は昔から、誰かの想いがある場所や歴史的な場所が好きで、今歩いてる道も昔の誰かが歩いた道って考えるとワクワクしていました。

 

それが派生して、今想いのあり場所に行くと強く感じられるんだということがわかりました。

 

平和公園にて

コロナの影響で、原爆資料館などはやっていなかったので、平和公園にあるモニュメントを隈なく見ていました。

 

モニュメントを見ていたら、語り手の人に話しかけられました。

 

 

平和公園の説明などをしてもらい、実際に被爆した草が入ったポストカードをもらいました。これを見て、今でも思い出しています。

 

あることに気が付きました。

 

それは平和ということがモニュメントとして作られていることで、頭の中に入りやすくなっているんだなということです。

 

 

特に印象的だったのがモニュメントが2つあります。

 

①祈り

 

実際にこうやって被爆した人が祈っていた思いがあったから、復興されて、今このような平和公園ができたのだと思ったら鳥肌がかなり立ちました。

 

②原爆の子の像

この像は2歳の時に被爆した佐々木禎子さんが、10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子供たちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国3200余りの学校や世界9か国からの寄付により、1958年5月5日に作られたものでした。

 

同級生たちが仲間の死をきっかけに作ったということに感動しました。

 

亡くなって悲しいとか、さみしいとかもちろんあっただろうに、それにも負けずに形に残し、後世の人に伝えようとした想いに感動しました。

 

これは、その像の下に書いてあった言葉です。

 

これはぼくらの叫びです

これはわたしたちの祈りです

せかいに平和をきづくための

 

読んでる皆さんは何を思いましたか?

 

 

 

原爆が落とされる前の実際の平和公園の地図です。

 

たくさんの人が日常を暮らしていて、その日常を壊したのが原爆。

 

モニュメントを見たり、地図を見たりして、周りをパっと見渡したら、そこには今を生きる広島の人達の日常がありました。

 

この当たり前のような日常が急に壊されたのだということを考えたら、めちゃくちゃ怖かったです。

 

たくさんのモニュメントを見たりして、平和公園で考えたことがあります。

 

平和について

戦争があったからそ、この今いる場所が意味あることにさせるためにも、自分達のような次世代の人たちが、きっかけにさせるような行動をとっていく必要があるんだと思いました。

 

 

平和公園でモニュメントを見たからこそ、感じたからこそ、戦争で多くの人が亡くなったという事実は変えられないからこそ、それをきっかけにさせないといけないし、そのためにも強く生きようと思いました。

 

 

手を合わせて誓いました。

 

 

人のために本気で生きよう

 

 

広島に来たことを自分の将来への誓いにしました。

 

そんなことを考えながら、原爆ドームに向かいました。

 

原爆ドームで革命家との出会い

西日本横断中という、段ボールをリュックに付けて歩いてるから、話かけられました。

 

その人は、お母さんが被爆者で、被爆胎児として生まれてきた方でした。お名前はミトさんという方でした。

 

この人は広島を変えようと、毎日原爆ドームの前で、本当のことを発信し続け、ブログを毎朝書き、広島の事実を訴え続けてる方でした。

 

そのムーブメントに賛同した世界中の人々が自分の母国語で、その広島の事実の資料を作り、原爆ドームの前には何10ヵ国もの資料が置いてありました。

 

しかも、アメリカ人のジャーナリストがミトさんの話を聞き、映画を作ったそうです。

 

日本でも新聞や、テレビでは何度も取り上げられてる人でした。。。

 

すごすぎました。。。

 

しかも、ミトさんは元教員で、学校の改革も行い5校もの学校でのミーティングでのたばこを辞めさせたり、原爆ドームの前で一緒に今活動している仲間は元教員の仲間たちで一緒に活動していました。

 

また、平和記念公園の警備員全員とも仲良くなり、広島の市にも訴えれることができる力や支持力も持っていました。

 

そんな革命家のミトさんと3時間くらい原爆ドームの前でお話しました。

 

ミトさんから教わったことはたくさんあります

 

①まずはやってみて、続けること

ミトさんの生き方すべてがそうでした。学校のときも今の活動もブログもとにかく、やってみて、それをやり続けた先に、周りが自ずとついてくる来るのだと思いました。

 

ミトさんは毎朝4時に起きて、今でも毎日ブログを書いているそうです。かっこよすぎます。。

 

教員時代も毎日自分のクラスに新聞を作っていたそうです。僕もブログを毎朝書くことを続けようと思いました!!

 

②常識を疑え

周りが言う常識を疑いなさいと言っていた。その常識も正しいとは限らないのだから。

 

③負けるが勝ち

右翼がミトさんにいちゃもんをつけてきたとき、ミトさんの手がその右翼の人に当たってしまったそうです。

 

そのことを右翼の人は殴られたと裁判所に訴え、裁判を行ったそうです。最初はミトさんも抵抗していなかったそうです。

 

今の状況は負けてるように見えても本質的には自分は悪くないと知っていたので、最後は裁判でも勝ったそうです。

 

これができる人って、物事の本質をとらえてる人だなと思いました。

 

④まずは、知ることが大事。その後に自分が何ができるのかを考えることが大事

 

いろんな見聞を広げることが大事と言っていました。僕は旅が好きなのと人と関わるのが好きなので、たくさんの世界を見てきて思ったのですが、自分の目で見た世界を信じようとこの話を聞いて強く思いました。

 

⑤語り継ぐ人がいなくなるのは、逃げ

 

戦争を知っている人がいなくなることは、当たり前。だから戦争のことを語り継ぐ人がいなくなるから風化していくということは逃げと言っていました。

 

その通りだなと思いました。

 

僕もそうなんですけど、いろんな人が、お金がないとか時間がないとかを言い訳にして行動をしなくなってしまいます。

 

〇〇がないというのは、逃げ ということを痛感しました。

 

 

真ん中の人がミトさんです。

 

 

戦争が起こり、被爆胎児として生まれてきました。その生まれた事実を受け入れ、それをキッカケにし、自分で圧倒的に行動し、周りも巻き込んできた人だと思いました。

 

広島で感じたことの体現を実際にしてる人に出会えた感じでした。

 

この人と3時間ほど、話していたら雨が降ってきました。実はこの日の予報は雨で、雨だと原爆ドームの前で活動はしてないそうです。

 

午前中は晴れていたので、原爆ドームの前で活動していたそうです。

 

そして、僕たちと話し終えたら、雨が降ってきました。

 

人と人との出会いには何か言葉では言えないモノがあるのかなと思いました。

 

雨が降っていたら、ミトさんとは出会えてなかったですし

 

コロナで原爆資料館とかが開いてなかったから、早めに原爆ドームに行けました。

 

もし資料館が開いていたら、タイミングがずれて雨が降ってミトさんとは会えていませんでした。

 

不思議だし、ご縁って本当に大切だということがわかりました。

 

ミトさん本当にありがとうございました。

 

ぜひ、読んでくださる皆さんも、原爆ドームに行った時は、お会いしてお話を聞いてみてください!

 

ブログを貼っておきますね!

http://blog.livedoor.jp/mitokosei-3105/

https://youtu.be/FZxz7Op0D64

 

過酷の始まり

ステキな出会いに感動して、マックでごはんを食べてヒッチハイクを再開しました。

 

全然捕まらず、雨も降ってきました。。。

 

車はたくさんいるのに乗せてもらえませんでした。。。

 

この時に本当に今まで乗せてくれた人に感謝が改めて生まれ、これから乗せてくれる人達にも感謝が生まれました。

 

きっと何か壁にぶつからないと感謝は生まれてこないんだと体感しました。だから、人にはぶつかっていきたいし、壁にぶつかることには意味があるんだということを思いました。

 

こんなところで、ヒッチハイクなんてしてるんじゃねーよ、捕まるわけないだろとおっちゃんに否定されました。

 

正直、イラつきました笑。が、すぐに受け入れました。段ボール持って立ってるだけで乗せてくれなくても、通った人達は笑顔になってくれてます。

 

人を笑顔にさせてしまうのも、ヒッチハイクの面白いところです。乗せてもらうことが目的ですが、乗せてもらわなくても笑顔にさせてるから楽しもうと改めて否定されたことで思い出しました。

 

否定してくれてありがとうございました。

 

とにかく、ありがとうございます。を言い続けてました。このとき

 

ありがとうを唱えると心が軽くなります。ありがとうありがとう、、、とつぶやきながらやってました笑

 

場所を移動したりしながら、インターチェンジの近くまで歩いてきました。

 

雨も小雨とかじゃなく、土砂降りでした。

 

しんどすぎました。マックで少し休憩して、マックの前で土砂降りの中、ヒッチハイクを再開しました。

 

正直諦めかけてました、雨に濡れてるから乗せたくない気持ちもわかったので、マックで寝る未来も考えてました。

 

その時の考えは、落ち込むってよりも、僕は実はワクワクしてました笑

 

8:2=わくわく:つらい って感じです。

 

その理由は、乗せてもらったときに絶対に感動するし、こういう時にこそ信じようと思っていたら、勝手にワクワクしてました。

 

移動含め、雨に濡れまくりながらヒッチハイクをやり始めて、3時間後。車が止まってくれました!!!!

 

声を上げて、よっっしゃ!!!と言葉が出ました笑

 

メガネのお兄さん

本当にありがとうございました。感謝がとまりませんでした。食べかけのポテトももらいました。

 

プライベートの話に花が咲きました。サービスエリアまで送ってもらいました。すぐに着いたのでたくさんのことは話していませんが本当にありがとうございました!!

 

服がべちょべちょだったので、服を着替えてヒッチハイクを再開!

 

やってると、話しかけられて、小さなことだが力になりました。ありがとうございました!!

 

さっきの雨の中3時間をしたので、屋根のあるしかもSAでのヒッチハイクは全然苦ではありませんでした。

野球好きのおっちゃん3人

めちゃくちゃ楽しかったです。おっちゃんたちの人生の話、野球のはなし、仕事の話、地元の話とにかく笑える話ばかりでした!

 

たくさん話したのですが、最後に仕事の話をしていたときに

 

気持ちがあれば過労死はしない。と言っていました。

 

仕事を辞めたくなったらやめればいいし、疲れていても心が死んでいなかったら死なないと言っていました。

 

志を持つことの大切さを教えてもらいました。

SAに着き、振り返りを3時間して、死んだように眠りました。

 

6日目のまとめ

親友のことを知る

広島の道を歩いてるときに裸で4000円道に落ちていました。お金のない僕たちにとっては、大金です。

 

僕はそれを拾ってネコババしようと思っていました。しかし親友はそれを拾うと、交番をGooglemapで探して、わざわざ雨に濡れながら交番に4000円を届けに行きました。

 

びっくりしました。持ち主はきっと見つからないだろうし、見つかったとしても、僕たちは広島の人ではないのでお礼はもらえません。

 

その行動に感動しました。人として正しくある姿を彼から学ばせてもらいました。

 

ルーティン化

振り返りもしたし、腹筋も20回SAでしました!!笑

 

ミトさんとの出会い、戦争のことを考え、ヒッチハイクの過酷さを改めて知れた日でした。

 

明日はどんな出会いが待ってるのだろうそんなことを楽しみながら寝ました。

 

今日も読んでくださりありがとうございました!!とうとう旅も終盤に差し掛かってきました!明日もお楽しみに!

 

りおなからのコメント

私は修学旅行が広島、長崎でなく沖縄だったので原爆ドームには未だ訪れたことがありません。行ってみたい場所です。

そのかわり、沖縄ではガマ(戦時中、人びとが隠れていた防空壕。洞窟のような、くらーい空間)へ行き、真っ暗な中、懐中電灯を頼りにみんなで歩きました。洞窟に入ったとき、懐中電灯を消して1分間黙祷しました。実際、沖縄の人たちが戦時中使っていたガマだったので、床には割れた茶碗などが落ちており何十年たった今でも深い爪痕が残されてました。正直、めちゃめちゃ怖かったけど、その怖いという感情は忘れてはならないものだなって思いました。戦争がない日常の幸せ、そして戦争の恐ろしさを語り継ぐってことは大事だけどそれを毎日行ってる革命家の人は素晴らしいと思います尊敬します

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