※本記事は、3部構成です。1話からお読みください↓
彼と再会した後は、2人で田舎暮らししている家に帰った。
田舎暮らしについての詳しいことは、この記事で紹介している↓
家の中。屋根の下。
周りには彼しかいない。
完全なるプライベート空間だ。
人目を気にしなくてよくなった瞬間、涙があふれ出てきた。
悲しい…というか悔しい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
彼は、何も言わずに抱きしめてくれた。
しかし、私にはこの日のように人生に苦しんだ時に必ずやることがある。
一人で、思いっきり泣くのだ。
オランダ留学中の苦しかった時も、
コロナ禍でおじいちゃんが亡くなり、お葬式にすらいけなかった時も
一人、部屋にこもって声を出して泣いていた。
私以外の誰もいないところで、思いっきり泣くことで少しは心が軽くなることを知っていた。
彼の腕の中で泣いている私は言った。
「あっちの部屋で泣いてきていい??」
もちろん彼は、いいよといってくれた。
一人、別室に入った瞬間に4,5時間抑えていた涙を思いっきり流した
滝のような涙が次から次へと、止まることを知らないかのように流れた
悔しい。
たったの1つの授業の単位を落としただけで、この4年間の努力が水の泡になるだなんて。
悔しい。
今まで一人暮らししていた時に頑張って貯めたバイト代が留年分の大学費用に姿を消すだなんて。
(ちなみに貯金分は奨学金の返済にあてる予定)
悔しい!!
ただでさえ、無茶なことに挑戦して親に迷惑をかけているのに、大学すら卒業できない事実が。
大学卒業は、自分の中で一つの親孝行であったのに、それすらできない。なんて親不孝な娘なんだ。
大学を卒業できないことにいろんな思いが溢れたが、どれも「悔しい」という感情に基づいていた。
私は、負けず嫌いだ
そんな自分が許せなかった
突きつけられた現実に、黙ってはいられなかった
また、彼も私の成績に納得がいかず、2人で大学と戦う決意をした
何事も、やってみないとわからない
突きつけられた現実を、飲み込むしかない時だってあるが
変えられる見込みのあるものは、変えてみないとわからない
そう、行動するのだ。
彼もかなり協力的でいてくれたおかげで、メンタルは崩壊していたが早めの行動が出来た。
私はまず、単位を落とされた教員に直接メールを送ることにした
出された成績に疑問を抱いていると言った
教員は、日本人でなかったため英語でメール文を打った。
メールの返信は来なかった
私は、次に大学に電話した
卒業はできないことを前提に、留年に関しての質問とついでに教授に返信を催促してもらうように言った
やると言ったら、徹底的にやらねば。
大学にも、『成績疑問調査願』といういかにもお堅い文書をもらいに行った
以上が、私が『地獄』に足を踏み入れた日からやったことだ
かなりざっくりとだが。
メンタルは、一週間でゆっくりと戻っていった気がする。
しかし、他に何をしたかの記憶は正直あまりない
生きていたが、その時間は空白だった
時間との戦いだったため、ゆっくり病む暇などなく、わけもわからないままに手続きなど進めていた
世界の動きが急に早くなったように感じて、頭が混乱した
とりあえず、大学に提出した書類の審査で成績が変えられるかどうかが決まる
期待は100%していなかった
期待してしまうと、ダメだった時にかなり落ち込むだろうから
しかし、脳は正直なものだ
毎日のように、大学を卒業できる夢をみた
そして毎日、目が覚めるたびに大学を卒業できない現実に苦しめられた
大学に書類をとりに行ったとき、ガウンを着た卒業生が楽しそうに写真を撮っているのを見た
その状況が、何度も頭の中をフラッシュバックした
苦しかった
…これ以上、どん底に落ちることがあるだろうか?
いや、ないだろう。
直感的にそう思っていた。
自分でいうのもあれだが、私の直感はけっこう当たる。
このときの直感も、のちに当たることとなる。。。
つづき↓